lemon(米津玄師)の解釈について
多分今年度に入ってからですけど、lemonが「失恋ソング」って紹介されたことに対してTwitterでバッシングがありましたよね。
公式が「レクイエム」って言ってるのでレクイエムなんですけど、「失恋ソングと受け取ってもしょうがない」という擁護をしてみようと思います。
もちろん基本的に公式が絶対です。
しかしながら、米津玄師好きだとか、歌詞の解釈が気になるとか、そういうんじゃない限りは、インタビュー本とか見ないんじゃないかなと。
何も知らない人が解釈としてlemonを失恋ソングに分類分けしちゃうのはしょーがないよー、という主張を今からしていこうと思います。
①「あなた」と「わたし」がなぜ離別したのか明言されていない
歌詞バーーーっと見たんですけど、明言されてないですよね。離別したんだろうって言うのは分かるんです。
「未だにあなたのことを夢に見る」とか
「戻らない幸せがあることを最後にあなたが教えてくれた」とか
「暗闇であなたの背をなぞったその輪郭を鮮明に覚えている」とか。
雰囲気から察せるわけですよ。離別して、もう二度と会うことはないんだろうってことは察せるわけです。
でも、恋人との離別なんて大体そんなもんじゃないです?勿論、「オトモダチ」になるっていう選択肢もあるけど、多くは恋人として離別した場合、接点がなければ会いもしないでしょう。だから、「二度と会えない」ってことを仄めかされていても、死別とは文脈から判断出来ないんですよね。
と思います。
②愛とか恋とか言う言葉が使われていること
「あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえその全てを愛していたあなたとともに」ってフレーズあるじゃないですか。
この文脈の「愛していた」はどっちにかかるんでしょうね。自分的には『「あの日の悲しみ」「あの日の苦しみ」でさえもわたしとあなたは愛していた』の意味に捉えていたんですけど、
「あの日の苦しみ」「あの日の悲しみ」その全ては、「愛していたあなた」と一緒に記憶に焼き付いているのかもしれないですよね。(日本語力が足りないだけかもしれない)(自分的には後者は前後の文脈と合わない気がする)
家族愛、友愛、恋愛、色々ありますけれど、「愛している」と明言するのは恋愛が多い気がします。(偏見)
まあこの偏見の方は反論が来るかもしれませんが。
最後のサビの前の
「自分が思うより恋をしていたあなたに」
ってとこ!
「恋をしていた」ってことばを、友人や家族には向けないと思うんですよね。奇特な人がいるかもしれないので「向けません」と断言するのは避けておきますが。私たちの文化の文脈の中では、通常「恋をしていた」と聞けば「恋愛」だと思います。
だから、ここを聞いてしまうと私達は
「アッ失恋したんだ」
って思うわけですね。
③結論
で、思いました。
これは恋人と死別したという意味の失恋ソングだという括りにしてしまえばいいのでは……?(よくない)